京の特集No.2

義経とゆかりの人々

京都に生まれ、鞍馬山で天狗に武術を教わり、五条大橋で武蔵坊弁慶と戦うなど、数々の伝説を残す源義経。
悲劇の英雄として歴史のなかに名を残す彼は、いまも人々のあいだに多くの伝承を残し、その人気は高い。
義経と、彼を取りまくゆかりの人々の足跡をたどり、そこで繰り広げられた人間ドラマに思いを馳せてみよう。
「義経とゆかりの人々」を読む
牛若丸誕生の井
(1)牛若丸誕生の井
鞍馬寺
(2)鞍馬寺
五条大橋
(3)五条大橋
法観寺
(4)法観寺
金戒光明寺
(5)金戒光明寺
即成院
(6)即成院
寂光院
(7)寂光院
左女牛井跡
(8)左女牛井跡
<鞍馬> <大原>
鞍馬地図 大原地図

源義経の時代の京都

義経ほど実人生を大きくうわまわって英雄視される武将も少なかろう。源氏が失脚した平治の乱の年に生まれ、二十代半ばで平家討滅の立役者となりながら、その後の人生があまりにも哀れであった。その格差が大きいゆえに判官びいきも生まれたのである。彼の京都における足跡といえば、牛若丸時代の鞍馬山での修行や五条大橋(今日の松原橋)での弁慶との武勇伝などにとどまり、霧に包まれた部分が多い。

義経は兄の頼朝によって死に追いやられるが、そもそもこの兄弟の力を分散させたのは為政者の後白河上皇であった。上皇の院の御所は鴨東の七条界隈にあった。義経もここを訪れたことがあったであろうが、一の谷合戦の数ヵ月前に木曽義仲の襲撃で炎上した。

この御所の北には平家一門の六波羅館があった。中心には清盛の泉殿もあったが、彼の本邸は東寺の北方に所在した西八條第である。広大な面積を占めたが、その跡地は今日の梅小路公園に求められる。

この西八条第の西は義経の遠祖、経基の住まいがあったところで、いはば清和源氏発祥の地であり、そこに造られたのが六孫王神社である。この北方六条には義家の若宮邸や義経の堀川館などがあった。

朧谷 寿(同志社女子大学教授)

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