桂小五郎と歩く木屋町・先斗町めぐり  現在は京都ホテルオークラの敷地となっている場所は、かつて長州藩邸があったところ。
桂小五郎像
写真【1】
幕末には尊皇攘夷を唱える志士たちが出入りをし、藩邸は政局の中心地となっていた。では、ホテル前に銅像(写真【1】)が建つ私(桂小五郎)とともに幕末の志士たちが奔走した木屋町・高瀬川界隈を歩いてみよう。この界隈には幕末の志士たちが居住していた寓居跡や、命を落とした暗殺事件を示す石碑が多く並んでいる。ちなみに、木屋町通に沿って流れる高瀬川は大阪へとつながる水運の要路であったことから繁華街として栄え、高瀬舟によって運ばれた木や炭など扱う材木商が軒を連ねたことから「木屋町」と名が付いたそうだ。
先斗町
写真【2】
親しかった坂本龍馬さんが近江屋で暗殺される直前まで身を寄せていた酢屋はこの付近を代表する有力な材木商で、日本のために奔走する坂本さんに共感し、自宅の一室を海援隊の京都本部として提供していた。坂本さんは2階の表西側の部屋に住み、当時、酢屋の南側に広がっていた高瀬川の舟入に向けて、愛用のピストルの試し撃ちをしたというエピソードも残っている。そんな坂本さんゆかりの地であることから、表の通りは「龍馬通」と名付けられている。続いて、祇園と並び称される花街のひとつ「先斗町(写真【2】)」を歩いてみよう。お茶屋や飲食店が並ぶこの街はかつて都の端にあったため、先端を意味するポルトガル語の“ポント”が町名の由来となったそうだ。時には芸舞妓さんが行き交い、日暮れとともに提灯に明かりが灯るこの通りには、京の花街の粋があふれている。
岬神社
写真【3】
さて、木屋町通に戻ると土佐藩邸跡に到着。かつて藩邸内に岬神社(写真【3】)があり、お稲荷さんを祀っていたため参拝に訪れる民衆も多く、土佐藩は参拝に関しては藩邸内の通行を許可していたそうだ。そして河原町通を横切ると、坂本さんと中岡さん(中岡慎太郎)が暗殺された近江屋跡がある。歩いてみると土佐藩邸からわずか数十メートルの距離であることがわかるだろう。坂本さんや中岡さんは土佐藩の出身であったが、役人ばかりの藩邸を窮屈がって、あまり滞在をすることはなかったそうだ。酢屋からこの近江屋に移った直後、33歳という若さで無念にも凶刃に倒れることとなったのだ。
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