菅原道真と歩く洛中めぐり  平安京ができたのは今から1200年以上も前のこと。しかしその史跡は今でも数多く残っています。洛中に残る平安京を探して、烏丸五条を出発しましょう。初めに歩く道は「不明門通(あけずどおり)」。
平等寺(因幡薬師)
写真【10】
その名は先にある平等寺(因幡薬師)(写真【10】)の正門が常に閉ざされていたことに由来します。平等寺は長保5(1003)年に因幡国司・橘行平が夢のお告げで海中から引き上げた薬師如来を祀ったことに始まります。町の人々が集まるお堂として古くから親しまれてきました。俊成社は小倉百人一首を編纂した藤原定家の父・藤原俊成を祀る神社。かつてこのあたりに俊成の邸宅があったことから、新玉津嶋神社とともに和歌の神様として信仰されています。ここからは松原通を歩いてみましょう。松原通は平安京ができた当時からある道ですが、この道がかつては五条通であったことは案外知られていません。門前に“親鸞聖人御入滅之地”の石碑が立つ光圓寺は浄土真宗の宗祖・親鸞聖人が最期の時を迎えたところです。
菅大臣神社
写真【11】
五条天神宮は平安京遷都の際、弘法大師が大和国から天神を勧請した神社。松原通がかつての五条通だったことから、牛若丸と弁慶が最初に出会った場所はこの神社であると『義経記』は伝えています。西洞院通と油小路通の間の通りは通称「天使突抜通(てんしつきぬけどおり)」。かつて洛中最大の規模を誇った五条天神宮(天使社)の境内を道が突き抜けていたことからこう呼ばれるようになりました。菅大臣神社(写真【11】)は学問の神様として称えられる私(菅原道真)を祀る神社。
膏薬図子(こうやくずし)
写真【12】
もともとこの場所には白梅殿と呼ばれる菅家代々の邸宅があり、私はここで誕生したとか。邸宅内にあった梅を愛した私がここから九州・太宰府に旅立った後、梅が私を追って飛んで来たという“飛び梅伝説”の発祥の地でもあります。綾小路通から四条通に続く道は「膏薬図子(こうやくずし)(写真【12】)」。通り抜けができる細い道を“図子”と呼び、平安時代に空也上人が悲運の武将・平将門の霊を弔ったことから“空也供養の図子”が“膏薬図子”に変わったそうです。
地図
閉じる