千利休と歩く西陣めぐり  織りの町として華やかな文化・芸術を育んできた“西陣”。
“従是東北足利将軍室町第址”と刻まれた石碑
写真【4】
私(千利休)は安土桃山時代に織田信長や豊臣秀吉の茶頭として茶道を大成し、その精神は茶道の家元である表千家(不審庵)・裏千家(今日庵)・武者小路千家(官休庵)と呼ばれる三千家によって脈々と受け継がれています。これから私の子孫をはじめ、多くの芸術家が暮らした西陣の街を歩いてみましょう。
 烏丸今出川から西へ一筋歩いた室町通に“従是東北足利将軍室町第址”と刻まれた石碑(写真【4】)があります。これは室町幕府3代将軍・足利義満が“花の御所”と呼ばれる荘厳華麗な邸宅をこの辺りに建てたことを示すもの。室町通に面した邸宅は“室町第”と呼ばれ、そこから幕府は“室町幕府”時代は“室町時代”と呼ばれるようになりました。こんな小さな通りが歴史に大きく名を刻んでいるわけです。さて、武者小路通に面して官休庵があります。その外観にも趣を感じませんか?
白峯神宮
写真【5】
ここから元誓願寺通へ抜ける細道は「狩野図子(かのうずし)」と呼ばれています。花の御所の周辺には幕府御用達の芸術家が屋敷を並べましたが、絵師・狩野元信もそのひとり。その邸宅跡に石碑が立ち、通り名として名を残しています。白峯神宮(写真【5】)は蹴鞠の師範を家業とした飛鳥井家の邸宅跡に建てられた神社で、境内に蹴鞠の神を祀る社があることから現在では球技の神様として厚く信仰されています。白峯神宮の東には、安土桃山時代から江戸初期にかけて刀剣・書画・陶芸・漆芸など芸術全般に秀でた才能を発揮した芸術家・本阿弥光悦の京屋敷跡を示す石碑が立っています。
裏千家の前
写真【6】
さて、小川通は昔、道脇に小川が流れていたことから名付けられ、清らかな水や地下水が豊富なこの辺りに、私の子孫も不審庵・今日庵を構えて茶道を今に伝えています。裏千家の前(写真【6】)にある本法寺の境内には私と親しかった絵師・長谷川等伯の銅像があり、天下の絵師を志して能登国から京へ上洛し、狩野永徳率いる狩野派とその才能を競った在りし日の姿を思い起こさせてくれます。
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